2歳目前の育児を通して自分と向き合う

結婚して主人と保育園に通う娘一人とワンコと暮らしている兼業主婦です。日々のことや育児を通してたまたま調べ、自分に当てはまっているのではと思う発達障害のことについて書いていこうと思います。

私が会話が苦手な理由2

学校に行くと、昨日お母さんと○○テレビ見た~とか、お母さんが○○作ってくれた~とか


聞くことがたまにあります。すごくうらやましかったです。


みんなは学校から帰ってもいつものお母さんがいて、一緒にご飯食べたり、テレビ見たり


しているんだなーと思うと、自分は家帰ってもどんどん変貌していく母におびえ


部屋にこもったり、わけのわからないことを言われ続けて我慢するという生活。


自分の部屋にテレビもなく、テレビもろくに見たことがなく、学校でも話についていけな


かったり。


結局、家に帰って言葉を発することがほとんどない生活をしていたので、


すごく会話が苦手になっていきました。


どんなにいい子にしても、どんなに手伝いを頑張っても(あまり飲まないでほしいので


いつも積極的に料理を手伝っていました)、決して変わらない母。


その頃は木曜日が父の休みで、その日は家族みんなでごはん食べれていました。


父がいるとさすがに泥酔まではあまりないので、すごく好きな日にちだった記憶があり


ます。


その週1のためにほかの平日は我慢するような生活を送り、わたしも成長していき、


塾に通ったりしていてそのときは家から出れるので塾嫌いではなかったです。


むしろ楽だった。



結婚したころ、旦那さんが実家にきてごはんを食べた時などに、母が旦那に


「○○(私)はねー、小さいころから料理が好きで、いつも私のお手伝いを


したがっていたのよ~」といったことがありました。


旦那は「そうなんですか~」と言っていたけど、私は心の中でイラつきました。


私が手伝っていたのは料理が好きだからじゃない。


あなたにお酒を飲んでほしくなくて手伝っていたんだ。


こういったことが最近けっこうあります。


娘も生まれ、孫としてかわいがってくれています。


でも「あなたも小さいころこうでね、あーでね」「お母さんが童謡たくさん歌って


あげると喜んでね」「私はあなたたち二人きちんと育てたから」って話してくるんですけ


ど、「えっ。。。」って絶句してしまう自分がいます。


母は酔っているから記憶にないのでしょうか。


その娘は傷だらけですけど。



私が中学生2年か3年のころ、父はリストラされました。


本当に大変でした。


私は高校受験を控えていました。


当然子供ながら進学はどうしたらいいのか不安でもありましたが、父がなんも心配ないか


ら今まで通り希望の私立でもいいと言われ気にしていませんでした。


雲行きが変わったのは中学3年の受験シーズンに入る秋頃です。


「公立にしてほしいんだって」と姉から言われました。


どうして?どうして親からなんも説明がないの?


中学3年の私がまず思ったことです。


「お父さんお母さん、言えないんだって。とりあえず公立に変えて理社今から


勉強しなよ。とりあえず塾も私立用だからもうやめたら?」


結局塾もやめ、自分なりに勉強しました。県立の高校に志望校変えました。


でも、受験は失敗してしまい、滑り止めの私立高校しか受かりませんでした。


合格発表の日、番号がないことを公衆電話から母に伝えました。


「わかった」とだけ言われ帰りました。帰ってもなんも言われず、というより


話してもらえずでした。


今わかりました。これがあの人の器なのでしょう。


私が求めている優しい母親はあの人にはなれないのでしょう。


そして、そこから2次試験も受けたけどだめで、もう滑り止めの私立しか


なくなりました。


2階の部屋にいると1階から父母姉の声がします。


自分のドアを開けた時です。


母の「もうあの子いらない。あの子いると金かかるじゃない」と聞こえました。


姉の「何バカなこと言ってんのよ!」と怒っている声が聞こえたところで


部屋のドアを閉めました。その後もなんか言い合っているのは聞こえました。


部屋の中で私はポロポロ涙がでました。試験に落ちたことより母の言葉がショックで。


次の日、まだ朝というか昼前でした。吹っ切れた母がわたしに言いました。


「死になさい。早くこれで」とこたつの机に包丁を突き刺してきました。


「…やだ…」精一杯の答えです。


このあとちょっと記憶がありません。


酔ってもいない母に死ねと言われたんです。もう生きれないと思いました。


人生においてここらへんが一番生きていたくない時間でした。


結局死んではいないですけど、母は中学の卒業式も、私立の高校の入学式も


来てくれませんでした。


高校の入学式ではほかの生徒は母と楽しそうに笑っているのに、


私は寡黙な父と葬式みたいな顔で出席していたと思います。


その後だんだん口をきいてくれるようになった母。


(酔うといつも通り文句の嵐です)


入学式からそんなんだった私は生きていることも嫌で、最初は全然高校生活を楽しめ


なくて苦労しました。


でもバイトもしたりして家にいない時間が増えた私は元気を取り戻せた気がします。


続きます。









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